2.展覧会

遠藤利克 「空洞説―円環⇔壺」

ENDO Toshikatsu

2012年1月7日(土)~2月11日(土・祭)
日曜休廊 12:00-19:00

秋山画廊 - アクセスマップ

「空洞説―円環⇔壺」

外径:3700mm 内径:1400mm 高さ:115mm

素材: 橅、胡桃、桜、他、タール(火)

 

Plan for “空洞説―円環⇔壺” #Ⅰ

38.5x52.5(cm) 

 

Plan for “空洞説―円環⇔壺” #Ⅱ

32x45(cm)

 

 

Plan for “空洞説―円環⇔壺” #Ⅲ

27x27(cm)

Plan for “空洞説―円環⇔壺”

素材: 石膏、FRP

33x55(cm)

 

                                                                       評論の眼
 遠藤 利克 展  空洞説ー円環⇔壺
 
   圧巻の会心作に脱帽
                            三田 晴夫(美術ジャーナリスト)

 東京・代々木の住宅に併設されたこの画廊の展示室は、入口から続く短いコンクリート通路の階段を降りた地下にある。その通路から、つんと鼻を刺す接着剤の臭いに引かれて階段を眺めると、そこに鎮座した巨大な黒い異物が目に飛び込んできた。さらに身を乗り出して見れば、それは膨れ上がったドーナツみたいな形態をしており、まるで今もむくむくと膨張を続け、展示室の左右両壁を押し広げんばかりである。

  遠藤利克の「空洞説―円環⇔壺」は、そのような不穏な気配をみなぎらせながら、私たちの前に姿を現したのだった。そう、そのタイトルが示す通り、たしかにそれは遠藤が長きにわたってこだわり続け、いまや彼の芸術のライトモチーフともなった円環構造を維持したものには違いない。しかし2011年のベネチア・ビエンナーレ関連企画展で注目された、曲面を持つ巨大な樽状の作品がそうであったように、いまの遠藤の円環は、いかにも幾何学的なお手本みたいな従来の形態から、新たな脱皮を遂げ始めたかにみえる。

 とはいえ、遠藤芸術に不慣れな人もおられると思うので、若干の補足説明をしておこう。まず、作品の基本的な形態から入ると、円環の他に同一構造の円筒があり、また立方体や直方体、あるいは樋のような凹面を持つ矩形体も見られる。総じて万物の本質を純化した抽象形態が選ばれてきたが、さりとてカヌーを思わせる舟形や、人の腕の形が寓話的に出現する場合もあって、それを抽象芸術と決めつけることはできない。

 第二は、遠藤が使いこなしてきた独特の素材である。木や鉄は説明の要もなかろうが、そこに決まって火や水が組み合わされるのが、他の美術家との大きな違いだろう。新作の黒々とした形相が、放たれた火によって焼き焦がされた痕跡であるのはいうまでもない。一方、水も屋内全体に雨のごとく降り注いだり、逆にフロアに開けた穴から泉のように湧き出して流れ広がったりする破天荒な作品に限らず、使用例は枚挙にいとまがないほどだ。

 その意味では、根源的な素材への強烈な思い入れが感じ取れる。だが、神話的、物語的な必然性から、時に鏡が持ち込まれたり、血や肉片のこびりついた生々しい動物の骨が投入されたりする場合もあるのが遠藤流なのである。このように、遠藤があえて美術の通念を破壊してみせるのには、相応の道理があった。かいつまんで言えば、それは彼がやせ細った美術の知にではなく、創造と破壊の衝動が渦巻く人間の深層世界に従う道を選んだことと深くかかわっているといえよう。

 そこで、円環である。出品されたドローイングには、円環の中空(空洞)を介して、見えざる気のようなものが、地下と天上の間を磁力線のように循環するさまが描かれている。以前の遠藤ならそこに、創造と破壊の衝動がせめぎ合う深層世界の景色をだぶらせていたに相違ない。 しかし、円環状の歴史的遺溝の地底から生贄の骨が出土していることから、円環を聖なる供儀の場の表象ととらえる今の遠藤にとって、それは一段と深い含みを持つに至ったのである。

 ドーナツ状の「空洞説ー円環⇔壺」は、種々の木板をはり合わせた16個のパーツから成る。聞けばそれらの丸い断面も、中空の穴をくり抜かれた円環形をしているらしい。いわば小型の円環群が輪をなすようにくっつき並んで、出来上がった一体の大型の円環が、あの黒光りする異物の正体だったというわけだ。はちきれそうな迫力といい、亀裂やひびの織り成す多彩な表情といい、遠藤の充実ぶりを伝える会心作といってよい。

 

                  月刊 ギャラリー 2月号

 

 

 

 

 

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