イメージが影を引きずっている。
ひとつひとつのイメージの背後に影がはりついている。
ある男のイメージーーー影
夜のイメージーーー影
身体のイメージーーー影
スピードのイメージーーー影
別々のイメージから伸びる同じ影
同じでありながら、影はそのイメージとも似ている。
今、私の目の前には液体の入ったガラスの瓶があるが、そこには影はない。ガラス瓶はその下のテーブルと繋がっていて、テーブルは床とつながり、向こう側の壁とつながり、その間の空間と繋がり、窓と繋がり、外の風景と繋がり、空と繋がっている。このような視覚的広がりの中に影はない。しかし、まばたきをした瞬間にイメージが立ち上がり、そこには影が出現する。
ところが絵画は、壁に掛けられ、空間の中に位置づけられながら、この影を帯びている。
私たちは、むしろ絵画を透かして影を見ているのだ。影はすべてが同じでありながら、そのイメージとも似ている。それは絵画が、その描かれた対象と似ていることと同質である。 どのようなイメージとも結びつかない、純粋にそれだけで自立している絵画など存在しない。
その影はイメージ以前、
ものがイメージになる以前、
私がものを知る以前、
ものが私の世界に組み込まれる以前、
つまりものが現象として出現する前のなごりなのだろうか。