遠藤 利克 -空洞説 Ⅳ-
ENDO Toshikatsu
2008年3月5日(水)~4月3日(木)
日曜のみ休廊 12:00-7:00pm (金曜:9:00pm迄)
Vernissage: 3/5(水) 6:00-8:00pm
毎日新聞 (夕刊) 展評 3月10日(月)
美術:遠藤利克展 深層を透かしみせる水面群
絵画や映像ならまだしも、彫刻となると、およそ火や水ほどなじみにくいものもなかろうと思われる。しかし、1950年生まれの遠藤利克は、往古から人類が火や水に託してきたさまざまの隠喩や寓意、象徴に魅せられ、あくことなくそれらを主役にしてきた。たとえば火は、燃焼のパフォーマンス(非公開)とその痕跡である黒々と焼け焦げた木の形態として。又水は、雨のごとく降り注いで建物の床を浸したり、巨大な形態の中部に密封したりして。
なるほど火や水それ自体の持つ多義性を認識させる作品は、あるにはあった。が、それを特異な感興を呼び起こす対象物へと展開させてきた点で、遠藤の右に出る者はたぶんいないはずである。先述した作例に沿っていうなら、古代墳墓さながらの黒こげの木のサークル形が、抗しがたい力でこの日常を始原の神話世界へと裏返してしまうだろうし、ひたひたと床を浸していく水は、人々の意識にとぐろを巻き、いまにも噴出しかねない不穏な欲動をまざまざと肌身に伝えてやまないだろう。
「空洞説 Ⅳ」と題した新作も、また期待にそぐわず、観る者を世界の始原、あるいは人間の深層に向かう旅へと駆り立てていく。画廊入り口から小階段を降りたフロアに、大小や丈の異なる、形もとりどりの壷が群れをなしている。全体は小さな一点から始まって細首の瓶形や甕形などが入り交じり、接するように連なっていく中央の大集団と、左奥のコーナーに分離した一群から成る。総数は23個だが、入り口付近から見下ろしても全体像を把握できない構成が不思議感をつのらせる。
壷はブロンズの一点を除き、他はすべて強化プラスチック製という。しかし、変化に富む器形と同様、色調も白、グレー、赤褐色、黒など多彩を極めるし、表面に銅粉を吹き付けて銅器に扮したものや、セメントが付着してざらつく肌をした土器と見まがうようなものなど、材質感も一つとして同じではない。周囲を巡ると、壷それぞれの丈や径の差異が、異なる音階の凹凸のように感じられるのも一興といおうか。
しかし、家族や集落共同体といった原始の幻影を漂わせる壷たちは、あくまで脇役であって、ここでも主役はやはり、壷という壷に満々とたたえられた水といわねばならないだろう。たとえば開口部にみなぎったそれらの水平面がなければ、壷たちの織り成す高低の変化や、それが空間に刻んでいく凹凸も意識に際立ってはこないでろうからだ。
とりわけ留意すべきは、宙に浮かんで点在する無数の円い水面群が、そこに湧き出た同じ数の泉のように見えてくる一瞬である。その時、壷は人の内面の深い井戸に変じ、水はその底からせり上がって、現実界に顔をのぞかせた欲動と化す。ここはぜひとも目をこらし、耳を済まして、「空洞」をくぐってきた水のメッセージを咀嚼せねばなるまい。
4月3日まで東京・千駄ヶ谷3-7、秋山画廊(03-3401-9505)で。 【三田晴夫】
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